素顔

株式会社メトロール 代表取締役 松橋 卓司

株式会社メトロール 代表取締役 松橋 卓司

少しずつでいいから、独自の技術で世界の人と取引したい

頭ごなしの押し付けが嫌い

工業団地、立川立飛リアルエステートは太平洋戦争時、軍用機の製造拠点だった。戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収された際には、教会として使用されたとも伝えられているのが35号棟だ。この建物が、株式会社メトロールの創業時に使用されていた。同社代表取締役・松橋卓司が大学生だった頃、社長である父を含め4人ほどが働くこの工場から、製品をメッキするためにオートバイで運ぶアルバイトをした。松橋は、建物を眺めつつ、これまでの道のりを語り始めた。

東京・小金井市で育った松橋の中には、武蔵野の落葉広葉樹の自然に囲まれた少年時代の風景が色濃く残っている。クワガタを捕り、アシナガバチの巣を突つついて刺され、拾ったドングリを投げ合って戦争ごっこをし、落葉のふわふわのベッドに横たわり高い空を見上げる。そんな素朴な世界で遊びまわる松橋だったが、教育熱心な母・玲子の方針で私立の小学校に入学。「まるで強制収容所でした」と感想をもらす。

小学5年時で6年生までの全カリキュラムを終え、6年では国語、算数、理科、社会の受験科目しか行わないという徹底した進学指導を行う学校だった。そんな殺伐とした日々を癒してくれるのは、山歩きと魚釣り。自然への憧憬はますます深くなるばかりである。特に魚釣りには熱中した。

頭ごなしに記憶しろという勉強が性に合わない松橋少年。対する教師は、有名中学合格のためなら体罰も辞さない。松橋はこれに反発し、3学期は登校拒否。卒業式にも出席しなかった。「頭ごなしにルールを押し付けられたり、命令どおりに動けといったことが嫌いなのは、この時の経験が染みついているからなのかもしれません」

世界を見据えて起業した父

中学受験に失敗した松橋だが、私立小に通っていたことで地元中学に進学したのではいじめを受けると母は判断した。そこで、千代田区の名門公立中学に越境入学させられた。最初の試験で全校8位だった松橋は、やはり校風に馴染めず次の試験では320位まで転落。担任教師から、「身体の具合が悪いのですか?」と家に連絡が来る始末。釣りにはますます夢中になり、休日には小田原の浜や、横須賀でボート釣りを楽しんだ。

高校は偏差値が低い地元の都立校に進学。受験勉強を強いられることもなくなり、やっと水が合う環境で学校生活が送れるようになった。母もとうとう息子の教育を諦めた。

一方、東京大学精密工学部卒で光学機械メーカーに勤務する父、章は息子の教育にいっさい口を出さなかった。人体に及ぼす事故を恐れ、胃カメラという革新技術の研究を中止させようとする会社の圧力に屈せず、章は改良設計を行った。反骨の人である彼は、胃カメラの第1号機を開発するという偉大な業績を残した先達が正当に評価されていないことを憂慮してもいた。「父は、技術者が報われる会社をと、創業を決意したんです」

松橋が高校3年の6月、章が退職金と自宅を担保に資金を借り起業した会社の名前は、計メジャー測と制コントロール御を合わせたメトロール。コーポレートマークはドイツ人デザイナーに依頼した。「海外のお客が、ひとりもいないのに、父は世界を見据えていたんです。グローバルニッチ――少しずつでいいから、世界の人と取引したいと」

食品業界に20年

日本大学農学部に進学した松橋は、漁師になろうと本気で考えていた。夏休みになると、オートバイとフェリーで北海道を目指す。40日間を霧きり多たっぷ布の離れ小島にある番ばんや屋で過ごす。夜はランプを灯し、ニワトリを放せばオジロワシがさらっていく、そんな世界だ。毎夏通うたび、船酔いを克服するのに10日を擁した。船上では、「酒も飲んでねえのに酔っ払ってんじゃねえ!」とど突かれた。ようやく働ける筋肉がつき始めた頃には、再び大学に戻らなければならない。だいたいが、子ども時代から船に乗っている漁師らとは身体のつくりが違う。漁師になる夢をあきらめた松橋は、大学4年時を理化学研究所で過ごした。ここでも、在籍する研究員との実力差に呆然となるばかり。彼は自分探しのインターンシップをしていた。

開発にも製造にも向いていない。アウトドア派だから営業がいいだろうと、大学卒業後は、日清食品に入社。卸し課に配属され、カップヌードルと袋入りのインスタントラーメンを売ることになった。市場に仕入れに来る小売店主を相手にするのだが、交渉は激しかった。1980年当時、同社は関東でのネームバリューが今ひとつ。会社からのノルマもきつく、まとまった数を売り上げたい松橋と、条件面で合わなくなると卸店主から殴られることもあった。テレビ宣伝で見ていたカップヌードルの華やかなイメージと、厳しい販売ノルマのギャップから同期は次々に辞めていく。

こそんな中、無理な販売を強いても、最終的には小売店まで出向いて在庫を捌く松橋は卸店から信頼を得、3年でトップセールスの座に就いた。そうなると物足りなく感じるのが彼で、新規事業部への異動を申し出た。インスタントラーメンはホームの仕事だが、菓子やドリンクというアウェー商品を扱う部署である。松橋は、ここでも結果を出した。

その頃、建築会社を営む叔父が、工場建築を請け負ったことが縁となり、豆腐メーカーの再建に当たっているのを知る。業界違いの仕事に苦労する姿を見て、松橋は手伝うことを即決する。10年在籍した日清食品に退社する意向を伝えると、社長と副社長から30分ずつ慰留された。しかし、松橋の決意は変わらない。

茨城の田舎町にある豆腐工場に、単身で泊まり込むと働きづめに働いた。搾油用の大豆をグルコン酸で固める、いわば“なんちゃって豆腐”をやめ、ニガリを使った本物の豆腐の開発に乗り出す。「インスタントラーメン市場に比べ、チルド食品は寡占化されていない。この時点では過剰な設備投資をしているが、ありあまる生産能力をフル回転させれば取り返せると考えたんです」

松橋はアメリカで大豆を契約栽培し、イスラエルからニガリを輸入して、タンパク度の高い本物の豆腐づくりを行った。彼が世に出したにがり豆腐はヒット。会社は持ち直した。

自律型企業に

また10年近くが過ぎようとする頃、「後継者がいなくて困っている」と章から声がかかった。思えば、父の会社でなにをつくっているかさえ彼は知らなかった。

「いい製品はあるが、売るやつがいない。これまでの客は回らなくていい。新しい製品を新しい市場に出してほしい」と言われた。営業マンはひとりもいないのに、FAXで注文が入ってくる。これは、製品がひとり歩きしている証拠だ。やがてじり貧になるにせよ現在は固定客がある。新製品を新規の顧客に上乗せするのなら活路は開ける。

 98年、メトロール入社。精密機械式センサという生産財メーカーはまったくの畑違いである。柔らかい豆腐から、今度は金属の塊を売ることになった。競争力の源泉はなにか?

松橋は40歳にして一から勉強した。眠れない夜が続き、医者に行くと、軽い鬱だと診断された。環境の変化に、心がついてこられなかったのだ。

3年が経つと、インターネットの時代が到来した。「ど素人だっただけに、インターネットで直接世界に情報発信したんです。B toB取引でクレジットカード国際決済を導入した最初の会社じゃないかな」そして、「大嫌いな英語を駆使してね」と笑った。頼みの綱はビジネス本の英語表現実例集だった。もともと大の読書家で、海外出張の際は本を6冊は携行する。「今でも“社長の鞄て、なんでこんなに重いんです?”と同行の社員に言われます」。ある国をマーケットとした時、片っ端からその国の文化・歴史の本を読む。それは会社の本棚横1列分にもなる。ネットでの告知のほか、それまで行っていなかった通信販売、海外での展示会も積極的に行う。これが功を奏した。

2009年、松橋は代表取締役に就任。入社時、売上4億円、従業員35人だった会社は、売上22億円、従業員128人にまで成長した。このままでは10年以内に会社がなくなってしまう、と危機感を抱いていた社員の平均年齢62歳は、33歳にまで若返った。自律した社員によるモノづくりを目指す松橋は、業務はすべて縦割り。主婦パートにもひとつの製品の部品調達から組立・検査までを一貫して担当させる。女性従業員が多い職場は床暖房が行き届き、創業時のすきま風の入る35号棟のだるまストーブとは隔世の感がある。年3回の社内パーティーは子育て中の女性社員のために夕方4時から乾杯を始め、社員全員参加の日帰り旅行はグルメと宝塚観劇など女性好みのツアーが平日に組まれる。もちろん全額会社の負担で就業時間扱いだ。

「会社はオーケストラ」が松橋の持論だ。「技術でも語学でもなにか自分だけの得意な楽器を持っていれば、他人と張り合わずに協調しあう。そして曲を奏でる代わりに、世の中に役立つ製品を創る」

松橋は自分をリセットするため年に一度、1週間コースで断食旅行に出かける。3日間、水とお茶だけで過ごし、4日かけて元の食事に戻していく。「身体がぐにゃぐにゃになるくらいリラックスしますよ」と笑う。


取材・文=上野 歩


株式会社メトロール 代表取締役 松橋 卓司

株式会社メトロール

 

所在地

〒190-0011 東京都立川市高松町1-100-25-5F

TEL

042-527-3278

FAX

042-528-1442

URL

https://www.metrol.co.jp/

創業

1976 年

従業員

128 名

主要品目

CNC工作機械の加工不良ゼロを実現する、高精度工業用センサの開発・製造・販売
・治具とワークの密着確認「エアマイクロセンサ」(左写真)
・2.4GHz 新無線通信「ワイヤレス タッチプローブ」
・世界トップクラスシェア「ツールセッタ」

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