kataya

序章:拳(こぶし)

熟したような夕陽を背にして、剣拳磨(つるぎけんま)は土手の上に立った。川と夏草のにおいが鼻先で漂った。
グラウンドには、二十人ほどの男子生徒がいた。拳磨と同じ制服のやつもいたし、そうでないのもいた。そうでない制服は、光学園高校(ひかりがくえんこうこう)のもので、そっちの数のほうが多い。
「高校生? 笑わせる」と拳磨は思った。「女から手を引かせるため、カネ払って、こいつら集めるなんて、それが高校生のやることかよ」
拳磨はゆっくりと土手の斜面を下り、そのままの足取りで生徒らのほうに向かう。ゆっくり、ゆっくり。
黙って立っていた集団が、拳磨に道を開けるようにスッと二つに分かれた。
自分からは、きっと気迫のオーラみたいなものが放射されているはずだ。そう、ケンカは気合だ。「ぜってえ負けねえ!」という気合だ。
だが、これだけの人数と渡り合ってどうなるかは分かりきっている。
拳磨が二十人の人垣を通り抜けようとしたら、誰かが口を開きかけたのが目の端に映った。拳磨はそいつの眉間にストレートを叩き込んだ。すぐさま二発目を見舞おうとしたが、相手はもう倒れていた。
たいていのやつは「てめえ」「この野郎」と言葉をぶつけるところから殴り合いを始めようとする。その時、相手はただ突っ立ているだけだ。だから、「て」と言いかけたところでパンチを入れた。
仲間が倒されるのを見て、かなりのやつらが戦意を喪失したはずだ。しかも一発で。もともとが仲間でもない寄せ集めだから、復讐からの闘争心も湧かないし、第一がどいつもケンカ慣れしているようには到底見えない。みんな神無月(かんなづき)に小遣いを握らされて集まった雑魚だ。神無月純也に。
これだけ人数がいれば、誰かがやっちまうだろう。うまくすれば、この場にいるだけでカネになるかもしれない。そんな甘い考えのやつもいるはずだ。
左側にいたやつが手を伸ばしてきた。胸倉をつかもうとするのも常套手段だ。拳磨はその手を払い上げると、中段で相手の鳩尾(みぞおち)を突いた。
「ゲフッ」という声を漏らし、そいつは腹を押さえてくずおれると、地面に顔を付けて二つ折りになった。
拳磨は足を運ぶ速度を上げ、やがて小走りになった。眉間、鼻の下、顎、鳩尾を狙い、せいぜいワンツーで効率よく何人か倒し、あとは逃げる。全員を相手にはできない。とにかく、ここに来ることが必要だったのだ。神無月に逃げたと思われずに、ここに来ることが。
サヨから手を引けと吾朗が言われ、ここに呼ばれた。神無月は、吾朗の代わりに自分が来ることを見込んでいたんじゃないかと思う。
そんなに俺が憎いか、神無月! 俺だって、あの試合でサッカーをやめることになったんだぞ。

あの日、拳磨はロングパスを追って光学園サッカー部のボランチと並走していた。目まいがするような暑い日だった。青い夏空、もくもくと湧き立つ白い入道雲、その雲に突き刺さりそうな勢いで真っ直ぐに飛ぶ白いボール。
拳磨がいち早くボールに追いついた時だ、ふいにそのボランチに顔面を殴られた。だが、審判はまったく気づかず流されてしまった。
拳磨はブチギレた。ただやり返すことしか考えていなかった。だからそいつが、味方のパスをトラップした瞬間、足を目がけて蹴った。
だが、脛(すね)を抱えてのた打ち回っているやつを見て愕然とした。人違いだった。
一発退場になってピッチを去る拳磨に、スタンドからヤジが飛んだ。口々に罵声を浴びせかけてくる光学園の生徒らの中で、ただ黙ってこちらを見下ろしているやつがいた。同じ制服の白いシャツなのに、そいつのだけがやけに眩しく輝いて見えた。
それが群馬のこの田舎町に新設された未来型学園といわれる私立高校、光学園を資金援助する神無月ホールディングスの御曹司、純也だった。
その晩、拳磨はサッカー部の監督に近所のファミレスに呼び出された。そうして、何杯もコーヒーをお代わりする監督の横で直立不動の姿勢のまま朝を迎えた。それはまったくもって異常なことだった。神無月の手は、こんなところにまで及んでいたのだ。拳磨はサッカー部を自主退部させられた。

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