kataya

第六章:ある削り屋の軌跡

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魚へんの漢字がびっしりと並ぶ寿司屋に置いてあるような自分の前の湯飲みにも酒をつぐと、それをひょいと取り上げ、目の前にかざした。
「お疲れさん」
皆も、「お疲れさま」と口々に言って、樽夫に合わせ酒を軽く掲げた。
拳磨は日本酒をほとんど飲まない。だが、その地酒は口に合った。なんともふくよかで優しいのだ。
「うまい」
思わずそう言ったら、樽夫が満足げに頷いた。そのあとで、
「剣君、コレやるんだってな?」
ボクシングのファイティングポーズをとった。
「え?」
「いや、拳闘じゃねえべさ、ケンカ。コイツに聞いたよ」
拳磨は毛利を見た。
毛利が肩をそびやかした。
「俺の見込み通りだったってワケだな」
樽夫に、ケンカっ早(ぱや)そうな見かけをしてると言われたのを思い出した。
「実は俺もやったんだ、若い頃だけどな」
「毛利社長が?」
「ああ、さんざんな」
樽夫がにやりと笑う。
意外だった。この社長は、いかにも温厚そうに見えたから。
「小っちゃい頃から腕白でな。んでも、走り始めるようになって、ケンカどころじゃなくなったんだけどな」
遠くを眺めるような目をした。
「走る……ですか?」
樽夫がふたたび拳磨に顔を向けると、
「ああ、そうだべ」
と応えた。
小学校時代の樽夫はとにかくやんちゃ坊主だったという。
「校舎のガラスを全部割ったりしたな」
周囲の大人たちも手を焼いていたらしい。それでも、担任の井沢先生だけはこんな言葉をかけてくれた。「おまえは確かに腕白だが、弱い者いじめはしない。根に正義感がある」――それが樽夫の自信になった。と、同時に“正義”という言葉が、強く胸に植え付けられた。そして、井沢先生はこうも言った。「おまえには、なにか一生懸命になれることが必要だな」
そんな時、東京オリンピックのテレビ中継で円谷幸吉を見た。マラソンで銅メダルを獲得した円谷は、地元福島県の出身である。円谷は、二位で国立競技場に戻りながらトラック上で後続ランナーに抜き去られている。これは、「男はけして後ろを振り向くものではない」という父親の戒めを守り、ひたすら前だけを見て走っていた円谷が追走者に気がつかなかったためであるといわれている。樽夫は、そんな円谷の真っ直ぐな気質も好きだった。
いつしか樽夫は走ることに夢中になっていた。そして、自室の机の上には円谷の写真が置かれた。
中学に入って最初の体育の時間だった。その日、北の町には震災の日のように春の雪が舞っていた。「こんなに寒いのに外に出ると死ぬぞ」そうやって樽夫はクラスを先導し、授業をボイコットした。
「こらっ!」その先生は、教室にたむろしていた生徒たちの中にいる樽夫一人を目指して迷いなく突き進んできた。「おまえがけしかけたんだろ!!」――それが宮腰先生との出会いだった。
樽夫が通う中学には陸上部がなかった。樽夫は仕方なくどの運動部にも所属せず、朝晩一人だけでロードワークしていた。たまに力を持て余してケンカした。こちらから仕掛けたことはない。同校他校の腕に覚えのある連中が立ち合いを望んで来るのだ。樽夫はそんなふうにして憂さを晴らしていた。
それが陸上の大会シーズンになると、構内の韋駄天(いだてん)がかき集められ、にわか陸上部が組織された。指導するのはあの宮腰先生だ。宮腰先生は樽夫をキャプテンに任命した。
「そんな話、これまで親父から聞いたことなかったなあ」
毛利がつくづく感想を述べた。
「で、勝ったんですか?」
拳磨は先を促した。
樽夫が頷いた。
「団体優勝だ」
「へー、ますます意外だ」
そう言う毛利に向かって、
「今日は剣君がいるから、こんな話になったんだ。実の息子に自分の若い頃の話なんてすっか」
「どうしてさ?」
「どうしてって、恥ずかしいべ」
樽夫が声を上げて笑った。
「そん時の、みんなで勝つっていう喜びが、こうやって会社やってる今につながってるのかもな」
そう言う樽夫の横顔を、まんざらでもない表情で毛利が見ていた。
「それに、小、中、高であった三人の先生が俺の運命を決定づけ、導いてくれたんだ。あの先生方との出会いがなければ、今の俺はなかったべ」
「三人の先生ってことは、まだ二人しか出てきてないから、話の続きがあるワケなんだろ?」
今度は毛利がせかす。
「ああ」
樽夫は再び話し始めた。

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