kataya

第六章:ある削り屋の軌跡

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震災被害から工場の稼働が困難な状況の中でも、毛利製作所の電話は鳴る。樽夫はいつになったら正常に戻れるのだろうという不安と闘いながらも、とにかく客先の要求や相談を聞き、それを解結する姿勢を徹底して貫いていた。
「始めっから、ただ無理だって断ってしまえば、そこでみんな終わっちまうだろ。誠意を見せることで、次になにかあった時、また相談してもらえるかもしれないべ」
拳磨は工場の隅で旋盤に向かい続けた。それが自分が役に立てる一番のことだったから。
ある時、樽夫がやってきて、ふとこんなことをつぶやいた。
「仕事があるありがたさ。仕事ができるありがたさ。それを今、俺は深く感じてんだ。ああ、思いっきり仕事がしてえべ」
仕事ができるありがたさか……と拳磨は思った。確かに自分は時代遅れの削り屋だったおかげで、こうした状況でも仕事が続けられている。
樽夫の人柄ゆえだろう、建設会社をやっている友人がいち早く材料を調達し、壊れた壁や天井を修復できることになった。電気工事屋だという友人は、どこよりも早くここにやってきてくれた。ガソリンはあるかと、スタンドを経営する友人が言ってきてくれる。他県から機械屋も駆けつけてくれた。そんな光景を横目にし、樽夫の人徳に関心しながら、拳磨は相変わらず旋盤を回し続ける。ひたすら削る。
そして毛利製作所の再稼働を後押しするかのように、震災から九日目、ついに水道が復旧した。

昼間は思いきり働き、夜には毛利家に戻って、久子夫人の手料理で樽夫親子と酒を酌み交わす。拳磨は久しぶりに家庭の温かさのようなものに触れていた。いや、そもそも自分のうちには家庭らしさなんてものはなかったから、これは俺が初めて味わう感覚かも……などと思ったりした。
「ところでさ、社長」
と毛利が一升瓶の酒を、父親の例の寿司屋の湯飲みに注ぎながら、
「この間、毛利製作所でも研修していたことを話したでしょ。なぜ、僕は外で勉強することになったのかな?」
「“研修”と“修行”はまったく別物だべ。おまえは、まずよその釜の飯を食うべきだった。そして、どこに行くかっつったら、オニセンのとこしかないべさ」
そこで拳磨は思わず訊いてみた。
「オニセン……うちの社長のことはどちらで知ったんですか?」
「俺も高校出ると地元の鉄工所で旋盤回して修行してたって言ったべ」
「はい」
「そこにいたんだよ、オニセンが」
樽夫がぐびりと湯飲みの酒を飲んだ。
「俺は汎用であいつに絶対勝てないから……あいつより同じものをたくさんつくれる魔法の機械に手を出したのかもしれん」
「魔法の機械、ですか?」
「NC旋盤のことだよ」
拳磨は身を乗り出した。
「そんなにすごかったんですか、うちの社長?」
樽夫が無言で頷いた。
「どんなふうに?」
「どんなふうって、オニセンていうのは、もう一つ“鬼のようにセンスがある”っていう意味も含んでんだ」
「なんのセンスです?」
「そりゃ“削り”しかないべ。それ以外に、やつになにがあるってゆうんだ?」
拳磨は、鬼頭が鉄の球をあっという間に削り出し、それを牛乳瓶の口に置いた光景を回想していた。やがて冷めて収縮した球が瓶の底に落ちる……あのコロンという響きが今も耳の奥に残っていた。
「当時まだ性能がよくなかったNC旋盤に手を出した俺を“プログラムつくってる間に完成するわ”と、鼻で笑っていたっけ」
「しかし、毛利社長は、NC旋盤を導入したおかげで会社を大きくしたわけでしょう? 二人は同期だったっていうのに、うちの社長ときたら……鬼頭精機の社員はミヤさんと室田と俺のたった三人」
樽夫が首を振った。
「かつてオニセンみたいな汎用旋盤にこだわる多くの職人たちがいた。しかし、NC機の時代についていけず、いじけたり、しらけて旋盤加工を極めることをやめてしまった。世間もNCがなかったらこんな仕事はできないでしょって決めつけるからますます仕事がこなくなる」
それが俺の行く末か、とぼんやり拳磨は思った。
「だが、一方で、機械技術や工具の跳躍的進歩は、取り付けを考えたり、刃物を砥いだりといった一番大事なことを作業者から取り上げてしまった。どの会社も同じ機械、同じ工具、同じCAD/CAMを買って、差がつくとしたらもっと高級なものをつくる、もっと大型のものをつくる、もっと大量につくる……そういうことだべ。国内に量産機がずらりと並び出した頃、やがて今度はそうした仕事が海外へと流れ出した」
樽夫がまたひと口酒を啜る。
「そんで、昔は山程あった、へたくそが上手くなるために必要な仕事が海外に消えちまったわけだ」
樽夫が毛利を見た。
「おまえみたいな初心者が旋盤を知るための仕事が、な」
「それで、僕を鬼頭精機で修行させたわけ?」
「いいや」
樽夫がきっぱりと否定した。
「オニセンに任せたのは、本当の旋盤加工をおまえの身体に教え込んでもらうためだ。刃物をつくり、想像して、削りを知る。そういう人間がNCを使ってこそ、高いレベルの加工ができるからだ」

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