kataya

第七章:螺旋(らせん)

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週明け、拳磨は再び太平洋に向かって光恵を走らせていた。休暇をもらい、樽夫から聞いた鉄工所を目指す。それは、かつて樽夫とオニセンこと鬼頭が若い頃に修行した大鳥居(おおとりい)鉄工所であった。
樽夫から聞いた住所に到着すると、震災被害に遭った大鳥居鉄工所はプレハブの仮設工場で操業していた。
月曜なので、工場内では従業員が忙しそうに立ち働いている。拳磨は、平日の昼前の現場で、自分が作業服を身に着けておらず、旋盤の前にもいないのが不思議な気がした。鬼頭精機に入ってから、有給休暇などとったことはない。毛利、室田と海水浴にいって指をケガした時にも、旋盤は扱えないながら工場で雑用していた。
別に自分が働き者などとは思っていない。ただ、歯科大をやめ、家を出て以来、旋盤の傍にしか居場所が見つけられなかっただけだ。
拳磨は、フライス盤のエンドミルを交換中の若い男に声をかけ、大鳥居大蔵(だいぞう)に会いたい旨を伝えた。
すると、男は拳磨のほうをろくろく見もせず、
「ああ、会長ね。会長なら、奥にいるよ」
「奥?」
男が突き当りのベニヤドアを示した。
「あの向こう」
「どうも」
ぼそりと礼を言って、そちらに向かう。軽く深呼吸してから薄っぺらいドアをノックした。
「なんだべ」
中から声がした。
開けてみると、正面に置かれた大きな机の向こうから老人が鋭い眼光を放ってきた。少なくなった白髪を、髷(まげ)のように後ろで一つに結っている。眉も白く、立派な白い口髭をたくわえている。
「大鳥居会長ですか?」
拳磨が尋ねると頷いて、机の向こうから出てきた。大仰な名前に反し、とても背が小さい。派手な赤いポロシャツを着て、白いコットンパンツの裾を踝(くるぶし)よりも上に巻き上げ、素足に真っ赤なデッキシューズを履いていた。
「おまえは誰だ?」
「鬼頭精機で働いてる剣拳磨といいます」
「仙作の弟子か」
えっと、仙作ってウチの社長の名前だよな……と思ってから、
「いや、弟子なんてもんじゃなくて、ただの従業員です」
と応える。
大鳥居はそれを無視して、
「ふん、仙作が自分の弟子に選びそうな面構えだ」
とにべもない。
「で、その仙作の弟子が、ワシになんの用だべ」
「だから弟子じゃなくって……て、ま、いっか、実は今、毛利製作所に厄介になってます」
「おお、樽夫のところにの。震災後にワシんとこ心配して電話かけて寄越したが、アイツんとこも大変だったべ」
「ええ」
と拳磨は応えてから、
「実は、毛利社長に話を聞いて、ぜひともお願いしたいことがあってきたんです」
「ワシに?」
「はい」
拳磨は大鳥居に、汎用旋盤でバイ貝を削りたいことを伝えた。
「ホッホッホッ」
大鳥居は笑って、
「さすが仙作の弟子だけあって、面白いことを言いよる」
「毛利社長は、お宅にある船舶部品用の旋盤なら強螺旋が削れると」
大鳥居が眉根を寄せて、
「確かに」
きっぱりと言って、白い髭の下で口を引き結んだ。
「じゃ、バイ貝を削り出せるんですね」
「バカを言うな。削れるのは、あくまでピッチ幅の広い強螺旋だけだ。貝っていったら、斜めに螺旋が渦を巻いてるわけだべ。旋盤が斜めに動かんことくらい、おまえも素人じゃあるまいし分かってるじゃろ」
やっぱり無理なのか……一瞬そう思った拳磨の中で、ある考えが浮かんだ。
「それなら――」
こちらの目を覗き込んで、大鳥居が頷いた。
「おまえも仙作に選ばれるだけのことはあるようだ」
「斜めの強螺旋を削り出して、それをくっ付けてバイ貝にする」
再び小さな大鳥居が大きく頷いた。
拳磨のバイ貝は、一・五センチくらいの幅で始まって一ミリずつ幅を狭めながら螺旋模様を描いていくイメージだ。そうやって円錐形をつくってゆく。それなら、次第に小さくなっていく五つの輪と三角帽子の部品を削り出し、あとからそれをくっ付ければいいわけだった。
「まあ、そうするしかないべ」
ばらばらに削り出した部品の組み立て方式とはいえ、これなら自分の手で削れる、と拳磨は思った。
「どうやら仙作のヤツ、この世に存在しなかったような旋盤職人をつくり出そうとしているようじゃの」
「え?」
大鳥居が面白そうにこちらを見ていた。そういえば不思議だ。この老人は、そんな面倒な細工をなぜするのか? といったことをいっさい訊こうとはしない。理由など興味がないのだ。削れるか? 削れないか? 関心があるのはそこだけらしい。
「だがな、削るのは人間なんだ。技術が削るんじゃない。人間が削るんだべ」
「人間が削る?」
「ああ。この震災を機にウチは社名変更したんじゃ。株式会社テクハート。“テクニカル・スキル”の“テク”と“人間の心”の“ハート”――専門技術と人の心の融合だべ」
そういえばプレハブ工場の入り口に〔株式会社テクハート(旧大鳥居鉄工所)〕という看板が掛かっていたっけ。

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