kataya

第八章:削り

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「二度と俺の前に姿を見せるな。顔を削られたくなかったらな」
拳磨は吾朗に背を向けた。
「拳磨、サヨを頼む」
その瞬間、怒りがほとばしった。サヨは頼んだり、頼まれたりする物じゃあないだろうが!
振り向きざま横っ面(つら)を張り飛ばすと、吾朗の身体が吹っ飛んでドアに激しくぶつかった。
女が飛び出してきて、悲鳴を上げた。
拳磨は廊下を歩き去った。二度と振り返ることもなく。

時は移って秋、鬼頭精機の面々は普段通り仕事をしながらもある一報を待っていた。
作業に集中しようとする拳磨だったが、ガラス戸の向こうで鬼頭が電話を取るのが見えるたび、ついそちらに注意がいってしまう。何度かそんなことがあったが、ついに鬼頭に手招きされた。
急いで社長席に向かうと、宮下も隣にやってきた。
電話は都庁に行っている室田からだった。今日、第二本庁舎で技能検定の合格者が掲示される。
横から宮下が、
「どうでした?」
と訊く。
鬼頭は受話器を顎に挟むと、両手で頭の上に輪をつくった。
「おお! やったな剣!!」
長身の宮下に、頭を叩(はた)かれた。
「痛(い)て」
拳磨は少しだけほっとした。
「ご苦労だったな室田。じゃ、どっかで昼飯食ってから帰ってこい。あ、領収書もらっとけ」
鬼頭が受話器を置くと拳磨を見た。
「おめでとう。おまえには東京都知事名の合格証書と技能士章が交付される。これで国家検定に合格した技能士っちゅうわけだ」
そう言われても浮かない顔でいたら、
「どうした?」
「まだ、東京の代表選手に決まったわけじゃないんで」
すると鬼頭が、
「いや、どうかな」
と意味ありげに言って作業場のほうに目をやった。
エンジン音がして、外の路地に赤いスクーターが止まるのが見えた。そうして、郵便局員が引き戸を開けて中に入って来る。
「剣さんいますかー? 速達でーす」
「あ、俺だけど」
なんだろうと思ってそう応える。
すると鬼頭は、拳磨が受け取った封書の中身が分かっていたかのようにすでに笑みを浮かべていた。 
開いた書面は技能五輪全国大会事務局からで、出場の意思確認をするものだった。
拳磨は東京都代表の旋盤選手としてたった一人選出されたのである。

翌朝、ロードワークのために外に出ると、アパートの前で室田がチャリンコに跨っていた。自転車は会社の重量物が運搬できる頑丈な実用車だ。
「どうした?」
不思議に思って訊くと、
「社長に言われて、俺も付き添い人として会場入りすることになった。ま、ボクシングでいえばセコンドってわけだ。だから、選手のトレーニングに付き合わないとな」
旋盤はしょせん孤独な作業だ。自分独りでなんとかするしかないと思っていた。しかし、拳磨には室田のこの申し出が素直に嬉しかった。
「さあ、行くぞ」
それなのに、わざと素っ気なく言う。
「あ、待てよ」
走り出した拳磨のあとを室田が慌てて重い実用車で追って来る。
「ミヤさんに聞いたんだけどよ、技能五輪全国大会に出て来る選手ってえのは、大概がでっかいメーカーの社員なんだってな。そういうメーカーってえのはさ、社員が何十万もいてさ、工場の敷地面積が東京ドーム何十個分てあるんだと。ウチなんてあのちんけなボロ工場(こうば)にたった四人だぞ」
拳磨は黙ってランニングを続ける。
「おまえは河川敷走って、土手で筋トレやってるけど、そういうとこの選手はよ、会社の敷地内にグラウンドがあって、体育館もあったりするわけだ。それによ、旋盤だって専門の訓練施設や技術道場があってよ、英才教育を受けて五輪選手に育てられるって話だ。メーカーによっちゃあ十人単位の選手団を送り込んで来るんだと」
なおも無言で走り続けた。
「だいたい無理なんだよ、そんな連中に勝とうなんていうのがさ。だからよ、気楽にいこうぜ、剣。オリンピックは参加することに意義があるって言うじゃん」
黙って走ってはいたが、みるみる焦燥に急き立てられてきた。

「勝たなきゃ意味がないでしょう!」
会社に行くと、拳磨は座っている鬼頭に食ってかかった。
「俺は負けるために技能五輪に出るんじゃない! 勝つためだ!!」
鬼頭は回転椅子にゆったりと身を預けた。背もたれが低くすすり泣いている。
「んで、どうしたいっちゅうんだ?」
「以前みたいに難易度の高い課題を俺に課してください。お願いします」
深々と頭を下げる。なにがなんでも勝ちたかった。ここまできた以上はとにかく勝ちたい。いや、負けるのが嫌だった。
「おまえの課題は仕事だ。いつも通り仕事してろ」
「社長……」
鬼頭はにべもなかった。

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