kataya

第一章:岐路

- 2 -

熱い怒りが拳磨を貫いた。僧帽筋が勝手に膨らみ、両手がわなわな震えた。「後先考えず、コイツらの顔を削ってやろうか」一瞬、そう思った。
だが、すぐに打ち消した。
高校生相手とはわけが違う。いや、コイツらが、ケンカ慣れしてるとか、そういうんではない。オッサンは管理職といった雰囲気で現場とは無縁な感じだし、椅子に座ってるアンちゃんは、ケガをしてようがいまいが、アレが勃とうが役に立つまいが、大した相手ではない。筋肉男は、少し厄介かもしれない。だが、見せかけだけの筋肉で、実用向きではないかもしれない。あるいは、そうではないかもしれない。やられるかもしれない。それに、軽く見ているアンちゃんだって、ヤッパを呑んでるかもしれない。
だが、それよりなにより、仮に三人をぶっ倒しても、すぐにほかの連中が現れるかもしれないということだ。そうして、たとえここは逃げ切っても、ほかの日にまた違う誰かがやって来るだろう。それをかわして逃げたとしても、またどこまでも後を追って来るだろう。こうした連中を相手にするのは、そういうことなのだ。切りがない。そこに、吾朗とサヨを巻き込むわけにはいかなかった。
拳磨は、ジーンズの尻のポケットから二つ折りにした封筒を出して、ソファに座っている被害者だという若い男の横に放った。
若い男がなんだろうと封筒をちらりと見、そのあとで拳磨をにらみつけてきた。
「二百万入ってる」
拳磨は、年配の男に向かって言った。彼が、交渉役だろうと思ったからだ。
「ほう」
男が微笑した。ものやわらかいといっていいような笑顔だった。
「だから、これで勘弁してほしい」
「勘弁?」
男が今度は怪訝な表情になった。なんで、そんなことを言い出すのか不思議でしょうがないといった顔だった。いったいこちらが、おまえたちになにを要求していて、それに関して、おまえたちはなにを勘弁してほしいのだ? まったく訳が分からない。そんな顔をしている。
「それが、目いっぱいなんだ。いや、かなり無理して用意したカネだってことくらい、分かるだろう」
年配の男がソファの若い男に目配せした。若い男が封筒を取って、中から札を出し、年配に見せた。
カネを目にして、吾朗もはっとしたように拳磨に顔を向けた。
拳磨は年配男に言った。
「なあ、俺たちを見てくれ、これ以上叩いたって、なにも出ない。これきりにするって約束してくれ」
年配が無言で拳磨を見返した。
「またなにか要求して来るようなら、出るとこに出る。そうなれば、お宅らも面倒なことになるはずだ。なあ、それだけ手に入ったんだ。俺らみたいなのを、もう相手にしなくたっていいだろう。頼む」
「なにか誤解してないか?」
年配が穏やかに言った。
「こちらは、あくまで正当な慰謝料と治療費を要求したまでだ。払ってくれれば、それ以上のことを言うはずがないじゃないか」
また、あのソフトな笑みを浮かべた。
「本当だな?」
「もちろんだよ」
まるで拳磨の肩を抱きかねないような親密な雰囲気だった。
筋肉男は相変わらず腕をだらりと下げていた。ソファにいる若い男がカネを封筒に戻した。吾朗とサヨは黙って立っていた。
「カネを数えなくていいのか?」
拳磨は言った。
「なかなかいい度胸をしているじゃないか。信用しているよ」
年配が言った。
拳磨はコンテナ事務所を出た。吾朗とサヨもあとから続いた。
拳磨は、無言のままカンカン音をさせて鉄骨階段を下りた。
階段を降り切ると、吾朗が言った。
「拳磨、さっきのカネなんだけど」
それには応えずに拳磨は歩き続けた。
「なあ、拳磨……」
振り返らず、無言のままどんどん歩いていった。

新規会員登録