kataya

第二章:切り子

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「正面旋盤ていうのがある」
と宮下がさらに話を続けた。
「ここには置いてないがな。もっと大物、たとえば船の部品を扱うようなところで使ってる大型旋盤だ。俺の知ってるベテラン職人が、その正面旋盤で、夜ひとりで仕事をしてた。よっぽど忙しいのか、一晩中帰ってこないんで、家族が心配して工場を覗きに行くと……」
「どうしたんです?」
「主軸と一緒に回ってた。機械に腕を巻かれて、な」
言ったあとで宮下が小さく首を振った。
「品物が回るってことが、どういうことか分かるか? なめてかかると、一瞬にして持ってかれるぞ」
拳磨はそっと息をついた。
「なあ剣、おまえもまだこの仕事をいつまで続けるかなんて分からんだろう。ほかの道だってあるかもしれん。だから、ケガだけはするな」
宮下がスイッチを入れると、いよいよ主軸が回り始めた。チャックに固定された丸棒も回る。
拳磨はゴクリと唾を呑み込んだ。ベッドのレール上で心押台を滑らせ、回転している丸棒に刃物を近づける。軽い恐怖心を覚えた。ケンカの時には熱くなっているので、怖いと思ったことはない。しかし、宮下にさんざ脅されたせいか、腕がすくむような気持ちがした。
「おい、おい、だからと言って、あんまり委縮するなよ。旋盤はなにも危険なばかりの道具じゃない。自動車と一緒だ。ちゃんとした知識を持たずに運転すれば、車だって凶器になるだろ。そういうことだ」
クソッと思い、刃物を一気に丸棒に押し当てた。
ギュリギュリギュリ!
「バカ! 刃物を泣かせてどうする!」
拳磨は刃物の当て方の角度が悪いのだと思い、今度はさらに寝かせるようにして浅く削るようにした。
やはり、ギギギ……とひどい音がする。
「刃物の角度じゃない。主軸の回転速度の問題だ。いいか、旋盤加工を行うには“主軸の回転数”、“刃物の送り量”、“切り込み深さ”――三つの条件を設定する必要がある。これを“切削条件”ていうんだ。どれから決めなきゃいけないって規則はないが、まあ、まずは主軸の回転数だろうな。んでだ、この回転数を決めるためには“切削速度”を理解する必要がある、と。その計算式は、円周率×工作物の直径……」
拳磨は、薄汚れた作業服に身を包んだ宮下が学者のように小難しい理論を並べ始めたので面食らった。
「……って、面倒なことはいいや。いいか、こう覚えろ、材料の直径が小さい時は主軸の回転を速く、大きい場合は遅くするんだ。この丸棒の大きさだと、加工速度を落とす必要があるな。そうすることで、刃物のビビリを解消できる。剣、ギアを一速下げろ」
なるほど、刃物はシュルルルルというスムーズな音を立てるようになった。宮下の言う、刃物の“泣き” “ビビリ”が消えたわけだ。
「円運動だよ。周速度って分かるか?」
「いや……」
「数学苦手か?」
「勉強は全般嫌いで」
「それでよく歯科大に入れたな」
自分でもそう思う。もしかしたら吉兼の裏工作があったのかも……とはこれまでも考えないではなかった。
「切削速度ってえのはな、刃物が品物を削る瞬間の速さのことだ。そう、薪割(まきわ)りをイメージしてみろよ。薪に小さく素早く鉈(なた)を打ち込むよか、大きく振り落としたほうが、サクッときれいに割れるだろ。切削速度が速いほど、切れ味もよくなるってことだ」
「そうか。だから、品物の直径が大きくなると、主軸の回転数も落としたほうが切削速度も速くなるってことですね」
宮下が頷いて、
「俺も学校の勉強は好きじゃなかったな」
と言った。
「だが、現場で削りを身体で覚えるうち、逆にそうした理屈が分かるようになった」
キィーーーーーーーーー!
今度は背後から、ややかん高い耳障りな音が聞こえてきた。
ふと見やると、毛利が細く短い管の、空洞になった内側の加工をしていた。荒く削った表面を滑らかに仕上げようとしているのだろう。毛利は自分が立てている音がまったく気にならないようだ。涼しい顔で削りを進めていく。
「あれはいい」
と宮下が言った。
拳磨が不思議に思ってその顔を見返すと、
「いいか、細長い品物、薄い品物は、チャックに近い部分のほうがしっかりと留まってる。これは分かるよな?」
宮下の言葉に、拳磨はピンときた。
「そうか、チャックから離れているほど、品物の振動が大きくなるわけだ」
宮下が頷いた。
「だから、ああした細長い管の内径加工や薄い品物の内面加工の場合、はじめはビビルが、チャックに近づくにしたがってそれもなくなる」
「だから、主軸の回転速度も間違ってはいない、そういうことですね?」
宮下が、拳磨の帽子を被った頭を軽くはたいて、
「分かってきたじゃねえか」
にやりと笑った。
「それに見てみろ」
毛利が、泣いている刃物の軸の部分を油(あぶら)筆(ふで)の柄で軽く抑えた。
「な、ああやって最初のビビリを止める方法もあるんだ」
拳磨は感心して毛利の手元を眺めていた。
「さあ、おまえもやってみろ」
そう宮下に促され作業を始めたが、まったくうまくいかない。ビビリこそ収まったが、図面通りになど削れるものではなかった。また、宮下のほうも、最初からできないことを承知しつつ、この仕事をやらせているようでもあった。しばらく、拳磨の横で眺めていたが、やがてその場を離れていった。
歯科大でやってきた実習は、タービンが回って歯列模型を削っていた。削る相手のほうが回るっていうのは、こうも要領が違うものなのか、と改めて知る思いだった。
ふと気がつくと、外は日が暮れていた。自分はどれくらいの時間、この作業に没頭していたのだろう?
向こうで鬼頭が、いつの間にか旋盤の前に立って作業をしていた。
再び拳磨の隣にやってきた宮下がぽつりと、
「社長が機械と対話する時間になったってことか」
「え?」
「昼間は、見積もりや問い合わせの相手をしなくちゃならないんで、社長はじっくり旋盤と向き合えないんだ。だから、機械との対話は、毎日陽が落ちてからってことになる」
「機械との対話……か」
鬼頭が手を止め、
「どうもしっくりこんな」
なにやらぼやいている。
「やっぱり酒が抜けとらんのだな」
独りごちたかと思うと、また旋盤でなにか削り始めた。
「見てろよ」
横で宮下が拳磨に言った。
一心不乱に鬼頭がなにか削っている。すごい集中力だった。
二十分ほど経っただろうか、鬼頭が旋盤を止めると、手になにか持っていた。鉄の球みたいなものだった。
「すごい! あんなのを削ったんですか?」
拳磨はびっくりした。
「驚くのはまだ早いぞ」
宮下が言った。
鬼頭は、削ったばかりの鉄の球を、机の上にある牛乳の空き瓶の口に置いた。
「俺さ、今日は調子出ないから、うちに帰って寝る。おまえらも、ほどほどにしとけ」
そう言って、鬼頭が工場を出ていこうとした。
「あ、そうだ、毛利。おまえ、剣をアパートに連れてってくれや。さっき大家に連絡したら、五号室が空いとるっちゅうことだ。部屋に鍵も置いとくって」
毛利が、「はい」と返事した。
その時、コロン……音がした。
拳磨は、音のほうに目を向けた。鉄の球が、牛乳瓶の底に落ちていた。
鬼頭は背後でした音を聞いたのか、聞いていないのか、工場をあとにした。
「社長、調子が出ないんで、腕をならすつもりで、あれをやったんだ」
宮下が言った。
「あの球、削りたてだと熱を持って膨張してるから牛乳瓶の口に引っ掛かる。だが、冷めると収縮して瓶の中に落ちるってわけだ。社長は〇・〇一ミリの感覚を取り戻そうとしたんだろうな。で、いいイメージを持って、また明日の仕事に就こうとしたんだろう」
拳磨は呆気にとられていた。削りっていうのは、どうやら俺が考えてた以上に奥深い世界なのかもしれない……

SPECIAL THANKS
株式会社ヒューテック・藤原多喜夫社長
参考文献『トコトンやさしい旋盤の本』澤武一著(日刊工業新聞社)

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