kataya

第五章:助っ人

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拳磨もそれに倣って、見えない旋盤を操作する。右手で「落とし」を行う一方で、左手では刃物台のハンドルを逃がす方向に回す必要がある。左手より先に右手のレバーを解除してしまえば、当然その場で品物は一回転してしまい欠損する。
左手で刃物台のハンドルを逃がす方向に回し、右手では「落とし」レバーを解除して、再び刃先を今削ったねじの入り口に侵入させる。この両手の動きがねじ切りには求められるのだ。
毛利の左手の動きを見ていて気がついたことがある。「先輩の左手が動くのが、心持ち早い!」
あのタイミングだと、ねじを最後まで切る手前で刃物を逃がしていることになる。そうか、これが「ねじの切り上げ」なんだ!!
だが、それだけじゃない。目盛をずらせば、刃先が最初と違う所からネジを切り始めるからせっかくつくった刃も品物もオシャカだ。レバーを入れる際に思い切りが悪いとギアの噛み合わせが中途半端でこれも即死。思い切り――度胸だ。そう、目と手と度胸だ。
回転目盛盤を見る目。レバーを操作する手。それに、思い切りという気持ちを連動させる必要があるのだ。
「おい、剣……」
隣で室田が呆れたようにこちらを眺めている。
しかし拳磨は、ただ取り憑かれたみたいにねじ切りを繰り返し続けた。

     *

毛利が去り、鬼頭精機は四人の男たちで現場を回すことになった。仕事は増えもせず、減りもせずだったが、これまでに比べて特に忙しくなったという感じはなかった。室田も拳磨も、毛利の分をカバーするくらいには腕が上がってきたということなのか。あるいは、宮下か鬼頭かが余計に仕事をさばいているのかもしれなかった。
拳磨は昼間の作業を終えると、相変わらずねじ切りを続けていた。鬼頭に提出される課題のままに三角ねじから台形ねじへ、そして角ねじへと、形の変化にともないピッチが大きくなるにつれ難易度が上がっていく。
休日、たまに美咲と会った。たいていは喫茶アズマでコーヒーを飲みながら話をするだけだったが。というよりも、美咲が話すのをただ聞いていることが多かった。
美咲は神無月メディカルサービスの二次面接にまで進んでいた。彼女の話の調子だと、このまま希望通り就職することになるかもしれなかった。だが、自分の知ったことではない。サヨのことも、河原での乱闘のことも言わなかった。それに、なにしろ美咲が入ろうとしているのは、神無月グループが経営する数ある企業の一つに過ぎない。神無月純也がどんなヤツであるにせよ、直接関係ないではないか。
秋が過ぎ、冬が訪れた。気候のよい頃は開け放っていた工場の引き戸を、閉め切って作業するようになった。トタン張りの古びた建屋には隙間風が吹き入ってきたが、鬼頭は程よい換気だと、いつものようにとぼけた口調で言っていた。
それでも工場の中には、石油ストーブと鉄のにおいが常に立ちこめていた。拳磨は酔うようなそのにおいが好きだった。
クリスマスがきて、美咲が手袋をくれた。拳磨はなんの用意もなかった。
仕事納めの日、忘年会を近所のあの寿司屋でやった。また鬼頭と宮下がカウンターで並んで酒を飲み、拳磨の向かいの席で室田はトロ、トロ、トロ、ウニ、イクラ、トロ、トロ、トロ、ウニ、イクラ……という順番で忙しく口に運んでいた。
年が明け、拳磨はクリスマスプレゼントの埋め合わせに、「お年玉だ」と言って美咲にマフラーをやった。美咲はひどく嬉しそうにしていた。
短い正月休みが終わり、また仕事が始まった。昨日と今日の区別がつかないような単調な日々が過ぎてゆく。そうして、いつのまにか冬も終わろうとしている。季節の移ろいの中で、拳磨はただ旋盤の前にいた。
なにもかもが永遠に続くようにも思えたある日、それは起こった。
昼休みが終わって一時間ほどが経ち、再び身体がこなれて機械と無理なく連動し始めた頃だ、足元から脈打つようなものが迫ってきた。
「来るぞ!」と思った次の瞬間、実際にそれはきた。
ドカンという強い衝撃とともに、激しい縦揺れに襲われた。
「機械を止めて離れろー! 入り口を開けろ!!」
宮下が叫んだ。
「全電源落とせーぇ!!」
再び宮下の声が響く。
自動機と違って非常停止ボタンなどない。汎用機は足踏みブレーキだ。だが、とっさに拳磨は回転レバーを素早く逆回転させ、その反動で一気に旋盤を止めた。
隣を見やると、
「あわわわわ……」
言葉にならない声を漏らし、室田が機械の前でうずくまっていた。
拳磨は遊園地のアトラクションかなにかのような激しい震動の中、吹っ飛んでいって足踏みブレーキを蹴るように停止させた。
一分どころか三十秒にも満たなかったはずだ。だが、ひどく長く感じられる時を経て地震は止んだ。
「大丈夫かーっ?! ケガしたヤツはいねえかー?!」
「ミヤさん、表へ出ようや。ウチみてえな古い木造工場は、次のドカンでぺしゃんこになっちまうかもしれねえ」
鬼頭がそう促し、腰を抜かしたようにへたり込んでる室田の首根っ子をひっつかんで外へと出ていく。
宮下も拳磨もそれに続いた。
他の工場の人々も外に出ていて、不安げな表情で立っていた。吾嬬町は中小の工場が寄せ集まったモノづくりの町だ。皆顔見知りで、やがて、「やあ、どうも」とか「大丈夫だった?」とか声をかけ合い始めた。
その時だ、余震が起こって、軒を連ねた古い工場が激しく揺れだした。鬼頭精機の建屋のガラスもガシャガシャと割れんばかりの音を立てている。
やがてそれが静まると、
「剣、さっきのあの旋盤の止め方な、あれ、いつの間に覚えた?」
宮下がぼそりと訊いて寄越した。
「レバーを逆回転させるのですか? いつだったか、社長がそうすんの見てて……」
今度は鬼頭が、
「で、おまえ、さっき反射的にやってみせたっちゅうわけか?」
なにやら嬉しそうな表情をした。
「俺の技盗み取って、そんであの揺れの中、瞬時にやった。こいつはいいや」
へらへら笑っている。反対に宮下の表情は苦虫を噛み潰したようだ。
また余震がきた。
「ふえーーっ!!」
室田がこの世の終わりのような声を上げ、その場に丸くなってしゃがみこんだ。
「こりゃ、今日は仕事にならんな」
鬼頭がのんびりとつぶやいた。

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