株式会社生田合金鋳造所は、砂型アルミ鋳物の高品質と信頼性を追求します。
最終更新日:2018-01-15
初代社長生田義人は第十一海軍航空廠に勤務中、海軍技師として渡米し、アルミ鋳物の技術を修得、海軍航空廠にて飛行機のエンジン又は機体関係の鋳物を研究して来ました。
終戦後自己の技術を生かし昭和21年3月呉市中新開に生田工業を設立、呉海上自衛隊、呉造船所、広造機等の軽合金鋳物の製作を始めました。
昭和31年5月には三菱重工業㈱三原製作所、広島造船所、広島精機製作所の指定協力工場として一手に受注することとなり、当社全受注量の90%以上に発展、昭和37年1月株式会社 生田合金鋳造所に社名変更致しました。
その後工事量の増加に伴い工場が手狭になり昭和41年4月現在の多賀谷町に進出。
敷地5300㎡工場892㎡の新工場を建設。昭和48年4月資本金1千万円に増資し、設備の近代化を図ってまいり、昭和50年4月生田定夫社長就任し現在に至っております。
当社は発足以来エンジン部品・シリンダー・ピストン等重要品に意を注いで参りましたが、車両用ブレーキ部品(空圧品)を受注してから三菱三原製作所の適切なるご指導により溶湯の真空処理の実施等品質の向上を計り、信用と技術蓄積に努力してまいりました。
現在は大西電機工業㈱・西芝電機㈱様により船舶用ファンや各種産業機械用部品等の受注を多く頂いております。
最終更新日:2018-01-15
昭和21年 3月 先代社長 生田義人は第11海軍航空廠の技術を生かして呉市中新開に生田工業を設立し、軽合金鋳物の製作を始める。 |
昭和31年5月 三菱重工業(株)三原製作所、広島製作所、広島精機製作所の指定協力工場となる。 |
昭和37年1月 株式会社 生田合金鋳造所に社名を変更する。 |
昭和41年4月 広多賀谷(現在地)に新工場を建設して移転する。 |
昭和48年4月 資本金を1000万円とする。 |
昭和48年5月 日立製作所笠戸工場の指定協力工場となる。 |
昭和50年4月 生田 定夫社長に就任する。 |
昭和63年4月 生型自動造型ラインを設備する。 |
平成 3年5月 フランを造型ライン設備する。 |
平成 4年9月 全社品質保証体制を確立する。 |
平成10年1月 三菱重工業㈱様より品質管理貢献の表彰を受ける。 |
平成18年4月 ハンガーショット(モノレールブラスト)を導入する。 |
平成27年4月 電熱式アルミ熱処理炉を導入する。 |
平成29年10月 フラン造形ライン更新 |
最終更新日:2018-01-23
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