成長企業の経営戦略

株式会社高山医療機械製作所 代表取締役社長 髙山 隆志

株式会社高山医療機械製作所 代表取締役社長 髙山 隆志

付加価値のある加工が治療効果を生む

家業に興味がなかった

「解剖台の上のミシンとコウモリ傘」――フランスの詩人・ロートレアモンが綴ったこのフレーズは、シュールレアリスムの代名詞といわれる。
東京の昔ながらの商店街、谷中銀座商店街から1本路地を入ると、寺町の閑静な住宅地だ。そこに混じるように株式会社高山医療機械製作所はある。看板も出ていない民家の中で、世界50ヵ国の脳神経外科医に指名買いされる医療用ハサミがつくられている光景は、まさにシュールである。それを伝えると、「さあ、フツーじゃないですか」と代表取締役社長・髙山隆志は静かにほほ笑んだ。
確かに、彼にとっては“フツー”なことなのかもしれない、1905年(明治38)に曾祖父・竹次郎が創業して以来、この地で4代にわたって医療器具をつくり続けてきたのだから。
西洋医学は江戸時代の蘭学を経て、日清日露の両戦役で負傷兵を外科的に治療する中で発達していった。
竹次郎は手術セットなどを帝国海軍に納品し、日本鋼製医療器械同業組合を立ち上げ初代理事長を務めている。
2代目である祖父・慶三の時代は、大卒の初任給1万円を、医療器の職人は日給で稼いだといわれる。野球チームが2つできるほどの従業員を抱えていた。
ところが、父・正二郎の代になると、メスが替え刃になって仕事が激減した。かつて野球チーム2つ分ほどいた従業員が取引先を連れて独立し、これもあだとなった。
当時は、形成外科の創成期でもあった。正二郎は、ルーペや顕微鏡を用いて微細な手術を行うマイクロサージャリーの試作品を手掛けた。
「父は変に手先が器用だったけれど、量産できる集中力がなかった。それで試作品をつくって遊んでいたんですよ」
そう評する髙山はといえば、家業にはまったく興味がなかったという。彼の興味の対象は、航空工学だった。
航空会社に入りたいと考えていた髙山は、東京工業大学工学部附属工業高等学校に進学した。航空高専も受験し合格していたが、そちらには進まなかった。首席で合格していたから、航空高専に進学するよう教師にも勧められた。だが、これを蹴った。
「高専は5年も通わなければならないでしょ」
髙山は学校が嫌いだった。学問は好きだ。だが、教師が嫌いなのだ。
「だって、画一的なことしか言わないから」
教師嫌いの髙山が、教師の言うことを聞くはずがない。それで東工大付属に入学したわけだが、思わぬ事態が待っていた。航空会社の募集資格が大卒以上になったのだ。だからといって今さら大学進学など考えられるはずもない。やむなく卒業後は家業の会社に入社した。

プロセスの構築

当時は、祖父、父、叔父に自分が加わった、まったくの家内工業だった。やっていることといえば、すべてが手作業だ。
「ところがこの仕事に、機械工学が応用できるんだと気がついてから、急速に面白くなっていった」
もともと学ぶことは大好きである。切削加工の本、塑性加工の本、あらゆる工学書を読み直した。
88年、22歳の髙山は先進地ドイツの工場を見て回った。規模の小さいところでも機械化が進んでいるのを目にし、確信を深めた。
帰国後、髙山が行ったのは作業プロセスの構築である。工作機械でできるところは行い、そこから先のみを手作業にする。
医療が高度化する中で、医療機器の製作現場はいまだに手作業である。なぜか? 変わることが面倒くさいから、旧態依然とした仕事ぶりを通しているのだ。それを伝統という言葉に置き換えている。
髙山は区の助成金で、旋盤とフライス盤の汎用機を購入すると自動送りをつけ、手製の治具を用いることで工程を簡略化させた。複雑な形状の素材をしっかりと捕まえられる治具を用いることで、工作機で削り出しができる。3通りのジグを用いれば3工程が行える。ジグの付け替えだけで、工業高校を卒業したばかりの新入社員が、ボタンひとつでベテラン職人の働きをしてしまうのだ。
簡略化した機械作業でできた製品に、客先は手で行う単価を付けてくれる。これこそが、機械工学を応用したプロセスの構築がもたらしてくれたものだった。
それだけではない、手作業でつくったものは仕上がりにばらつきがある。ところが、機械加工したものは50個が50個とも、まったく同じものができるのだ。

医師と対等に語ることで

1999年、髙山は34歳で社長に就任する。汎用機しかなかった工場には、NC機が導入された。商社の営業が訪れて、「こんなものをつくってほしい」というポンチ絵から図面を起こし、機械化による生産スピードの高速化がラインを止めずに試作開発と少量多品種の生産を可能にした。
医師も図面が描けるわけではない。
「針が滑るのを防げないだろうか」「2回切って、切れなくならないハサミが欲しい」
そうした要望に、髙山は医学書を読み、オペ室に立ち会うことで応えてきた。縫合針を保持する持針器や医療用ハサミなど約100種類の医療器具を生産。
「脳の中には、人間を構成する組織のすべてがある。1本のハサミで、それを自在に切れないと」
まるで医師のように人体について語る髙山。医師と対等に語ることで信頼が生まれ、真に目的が共有できるというのが持論だ。そして、「匠の手」といわれる脳神経外科の上山博康医師との出会いにより共同開発された手術用薄刃ハサミ「上山式マイクロムラマサスペシャル」は代表作となり、国内のシェア9割を占めるようになった。
2016年、アメリカの展示会で売り込みを開始。最初は相手にされなかったが、大学のワークショップに手術セットを貸し出したところ反響があった。「売るのをやめたとたんに、売れ始めたんですよね」
入社当時、家内工業だった年商2000万円の会社は、30倍の年商6億円に。海外での売り上げは年商の3割以上に達する。
複合加工を行う種類の違うNC機でも同じ加工ができるようにデーター変換を行う工場での作業はほぼIT企業と変わらない。社員は有名大学の学卒者が占め、大学院卒者も多い。「皆、うちの会社でなにをやっているかを知って、応募してくる」と髙山は語る。そして彼は、社員らに向けてこう声をかける。「付加価値のある加工を行うことで、治療効果があるものがつくれる。それが医師の負担を減らし、患者さんのためにもなる。対価として会社に多額のお金が入り、社員は高い年収が得られる」
今後は、脊椎のインプラントシステムや、頭蓋骨プレートシステムなど、体内に入っていくことで直接治療にかかわるものに参入していく。「日本では、この分野の製造販売を行う企業はなく、そこに展開していきたい」


取材・文:上野 歩 / 撮影:今 祥雄


株式会社高山医療機械製作所 代表取締役社長 髙山 隆志

株式会社高山医療機械製作所

 

所在地

〒110-0001東京都台東区谷中 3-4-4(本社)

TEL

03-3821-0249

URL

https://www.takayama-instrument.co.jp/

創業

1949 年

従業員

32 名

主要三品目

・脳神経外科用手術器具の開発・製造・販売
・脊椎用インプラント、頭蓋顎顔面骨延長器、固定用プレートの製造
・超音波手術器具のハンドピース、先端チップ製造

株式会社高山医療機械製作所 代表取締役社長 髙山 隆志

 

 

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