成長企業の経営戦略

株式会社伊藤製作所 代表取締役社長 伊藤 竜平 氏

株式会社伊藤製作所 代表取締役社長 伊藤 竜平 氏

大変な時こそ成長できる

「ラグビーはピンチのほうが燃えるんですよ」去年12月に株式会社伊藤製作所代表取締役に就任したばかりの伊藤竜平氏が笑う。中学からラグビー漬けだった竜平氏。ポジションは、スクラムの際は側面に位置を取り、真っ先に飛び出し味方をサポートすることが求められる。
「タックルが多いポジションですね」。 アメリカの大学に在学中もラグビーは続けていて、身体の大きな相手にもタックルを仕掛けたという。「白人選手は腰が高いので、私でも倒すことができるんですよ」。
2002年8月、伊藤製作所は創業以来最大のピンチに直面する。フィリピンの工業団地で新工場の契約金を支払った1週間後、唯一の日本人として駐在していた副社長が心臓病で急逝するという悲劇に見舞われたのだ。この事態に中国系フィリピン人のパートナーが、合弁解消を申し入れてきた。竜平氏の父で当時の社長・澄夫氏も存続を迷った。しかし、日本で営業課長をしていた若手社員を副社長にし、竜平氏を通訳としてフィリピンに送り込む。アメリカの大学を卒業した竜平氏は、現場の経験は4年程度しかなかった。
「大変な時のほうが、人って成長できるんですよね」。900坪の工場のどの部門に誰がいるか、全員の顔と名前を覚え、現場を学んだ。

創業者を突き動かした記憶

伊藤製作所は1945年、竜平氏の祖父・正一氏が戦後復興事業として漁網機械や機械の部品をつくる会社として創業した。15年ほど経った頃、大手家電メーカーの下請けプレス工場を見学してきた正一氏は、「すごい金型が動いていた」と澄夫氏に向かって興奮気味に語った。ブランキングでは製品が下に落ちるはずなのに、「カスが下に落ち、製品は上を動いて、最後に箱に向かって吹き飛んでいた」と。これこそが順送りプレス金型だった。「あの金型ならいい製品が安くできて、お客さんも喜ぶ。俺は、あの金型で仕事がしたい!」。
正一氏を突き動かしたのは、鮮烈な記憶があったからだ。終戦の1年前、名古屋を空襲したB-29が1機、墜落した。自転車で現場に急行した正一氏は、“空の要塞”の残骸を見て腰が抜けるほど驚いた。翼や計器、あらゆる部品が金型によってつくられていたからだ。その瞬間、日本は間違いなく負けると悟った。この時の衝撃が、正一氏には強く残っていたのだ。

量産を見据えた試作品づくり

「あの金型をつくってくれ」――正一氏の思いを受けた澄夫氏は、1963年より順送りプレス金型の設計製作を開始した。
形を打ち抜いたあとに人の手を介することなく、曲げたり絞ったりといった工程を順送りで行っていく金型は効率がいい。1982年、金型製作を合理化する目的で、他社に先駆けCAD/CAMを導入。逸早く夜間の無人運転を開始したのも同社だ。
そうした製造現場を遊び場に幼い頃から出入りしていた竜平氏は、「いずれ自分がやることになる」と順送りプレス金型のDNAを継承したのを自覚する。
大学卒業時、どこか他社で修業もと考えていた竜平氏の背中を押したのは、「金型の勉強をするなら、うちがいいぞ」という父のひと言だった。1999年、竜平氏は同社に入社。3年間はプレス加工の現場に、その後1年、金型の現場にいた竜平氏は、会社の危機にフィリピンへと送り込まれたのだった。
日本に戻ってからの竜平氏は、金型設計ひと筋。「自分に合っていたと思います」。
エンジニアとしての竜平氏が行なったのは、生産性の高い順送り金型への置き換えを客先に提案することだった。切削や鋳物よりも、1秒に1個製品ができる順送りプレスが一番安くモノづくりができる。「“この部分だけ形状を変えれば、順送りプレスでできますよ”という提案が行なえるのは、金型設計をしていたからですね」。
こうしたアプローチは、順送りプレスで量産を見据えた試作品づくりへとつながっていく。すなわち、初動からの設計提案をすることである。
リーマンショックも大過なく乗り越えた同社は、2000年代を右肩上がりで進む。現在国内のプレス製造は、5つの工場で操業。コロナ禍も、2020年当初の3ヵ月ほどは仕事が減ったものの、8割近くが海外市場であり、どこかの国が落ち込んでもほかの国の売り上げが補うという流れで大きな支障はなかった。受注が減った期間は社員教育に当ててもいた。よい点としてはリモート化が進み、海外の生産現場や客先はもちろん、国内の第1~第5工場間でも連絡が楽に、そして密になったことだ。
新社長として竜平氏が掲げる目標は3つ。まずは現場のデジタル化である。「2時間かかっていた作業が2秒で終わるような、革新的な転換をしたいんです」。そして2つ目は、「すぐに変化に対応できる組織づくり」。3つ目が、「働きやすさ+若手が育つ環境です。そのためには、ワークライフバランスも考えたい。もちろん我々がつくるアウトプットが減っては、じり貧になります。そこで活きるのがデジタル化。デジタル化することで、モノづくりにイノベーションを起こしたいんです」。

株式会社伊藤製作所


取材・文:上野 歩 / 撮影:今祥雄


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