第8話 俺たちは相棒だ(1)

「おまえら人間の言葉なんて誰でもわかるんじゃあないの」

金型は、悪びれることもなく、よくよく考えると到底信じられないようなことを平然と言ってのけた。その上、畳みかけるように、

「“人間の言葉がわかるのは人間だけだ”なんて信じている安穏としたお気楽野朗は人間だけだぜ。おまえらが日頃可愛がっているペットの犬や猫だってわかるし、鳥や虫たちも、木や草たちだって、みんなわかるんだぜ。その証拠におまえ、ここぞというときに、虫が目に飛び込んできたり、石につまずいて転んだり、草で足を滑らせたりしているじゃないか。やっとできた彼女にだって、お前の飼っている犬が小便かけて、いきなり振られたじゃないか」

金型の話すことがあまりに的を射ているので小川は、ただただ驚くばかりだった。

「それにしてもおまえ、金型のくせにいろいろ知っているんだな」

小川はこの夢のなかの出来事のような現実を受け止めはじめていた。

「あー、そうさ。俺はおまえから見ればただの金型だけど、なんでも知っているさ。なにしろ半年以上も外に放置されてたんだからな。人間どもはなにも知らんと俺様の上に腰かけていろいろしゃべっていたし。おまえだって俺の上で彼女とのメールに夢中になっていただろう。それに、俺はもっとすごい情報を掴んでいるんだぜ。小川、お前の心がけ次第で教えてやってもいいけど、どうする?」

小川は、このあまりにおしゃべりな金型のことをだんだんと嫌いになってきていたが、“すごい情報”と言われると、無視するわけにもいかなかった。

「なんだよ、その“すごい情報”って?」

「教えてやるから、その前に油塗ってくれないか。さっきからしゃべり通しで咽喉がカラカラだ。安いのはごめんだぜ。ドンペリ級の最高級潤滑油を頼むよ」

小川はやっぱりこの金型のことを好きになれそうもないと思いつつも表面に油を塗ってやった。

「あー、いいねえ。和むねえ。これがおまえら人間の言う温泉みたいなものか? 小川、できたら今度、俺をその温泉ってやつに入れてくれ」

その金型の言葉を聞いた小川は意地の悪そうな顔をして言った。

「お望みならいつでも入れてやる。なんだったらいまからどうだ? そのかわり金型、おまえの身体は5分と持たず錆だらけだぜ」

「錆だらけだって? 小川って、思ったより意地悪なんだな。温泉のことは忘れてくれ。それより俺のことを“金型”って呼ぶのはやめてくれないか。金型じゃあ他のやつと区別がつかねえよ」

「じゃあ、なんて呼べばいいんだ?」

「うーんと……そうだ、ジョニーがいい。小川、こんどから俺のことをジョニーって呼んでくれよ」

小川はやっぱりこの金型のことを嫌いだと思った。嫌いだと思いながらも、さっきジョニーの言った“すごい情報”という言葉が引っかかっていた。

「じゃあ、ジョニー。オレのことはシンジって呼んでくれ。ところでジョニー、“すごい情報”ってなんだ?」

「あー、それか。シンジ、おまえ、俺が放置されていた場所、覚えているか?」

ジョニーの生意気そうな口ぶりに小川は絶対いつか温泉に沈めてやると思いながらも、この金型材料が置いてあった場所を思い出していた。

「わからないのか、シンジ。頭の悪い野郎だな。俺が置かれていた場所の壁はどこの壁だ?」

――こいつが置いてあった場所の壁? どこだっけ?

しばらく考え込んでいた小川はやっと思い出したようだ。

「給湯室だ。ジョニー、おまえの置かれていた場所は、給湯室の前だろ」

「そうだよ。多くの女子社員が出入りする給湯室さ。気取った女たちが決して男性社員の前じゃ出さない表情を見せる給湯室だよ。嫁入り前の女の子が鼻からタバコの煙を出す給湯室だよ。そしてその給湯室の横にあるのが女子更衣室。すぐ上の2階が秘書室と役員室だ」

小川はジョニーのことを嫌いだけど、もっといろいろ話を聞いてもいいかなと思いはじめていた。

EMIDAS magazine Vol.13 2007 掲載

※ この作品はフィクションであり、登場する人物、機関、団体等は、実在のものとは関係ありません

 

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