高柳がゆっくりとこちらに近づいてきた。
「ちょうどよかった。社長室にうかがおうと思っていたんですよ、挨拶にね」
大らかな笑みをたたえてそう言う。
「挨拶?」
自分はいまどんな表情をしているだろうと明希子は思った。怒り? 痛み? 恐れ? 悲しみ? おそらくそれらがすべて混在したような顔をしていることだろう。
「いとまご暇乞いですよ。お世話になりました」
「……高柳さん」
「笹森産業に引き抜かれました。金型部門を設立するので、それを私にみてほしいということでね。設備も整えて待ってるから、と――ことわれませんでした」
高柳がぐるりと花丘製作所の構内を見まわした。
「青春だったな、ここは私にとって……」
そこで、ふっと笑った。
「がら柄ではないか」
高柳が明希子に向かって一礼した。
「失礼します、アッコちゃん――いや、アッコさん」
「高柳さん、残念です」
そう言った時、彼が、少女のころの自分にとって憧れのお兄さんであったことを思い出した。
「でも、あなたのしたことは許されないことです。それだけは言っておきます」
高柳の顔から笑みが消えた。
「製造業界は助け合いの仲良しの集いではない。お互いが切磋琢磨し、最高の技術を目指していかなければならない。そして、食うか食われるかだ。異論はありますか?」
「こちらも降りかかる火の粉は払わなければなりません」
いつの間にか明希子の背後に社員たちが集まってきていた。菅沼が、葛原が、土門が、菊本が、昌代も、泰子も、仙田も、みんながいて、高柳と対峙していた。
「いい機会だからみんなにも伝えておこう」
高柳が言った。
「里吉がおれといっしょに笹森産業に移る」
明希子は愕然とした。
みんながいっせいに里吉に眼を向けた。
里吉が無言でみんなから離れ、高柳の側に立った。
「主任! どうしてなんスか!?」
菊本が泣き出しそうな声を上げた。
「急にどうしてそんな? きのうだって小川のことで……」
小川がうつむいた。