誠一はなにかを言わないでいると思った。心配ごとがあるのかもしれない。
ふっとひと息ついて、明希子はパソコンのキーボードから手を離すと椅子の肘掛けに両腕をのせ、背もたれにからだを預けた。
それに菅沼だ。もともとおどおどしたようなところがあるひとだけれど、このあいだはあきらかに様子がおかしかった。そんなことは思いたくないけれど、まさか誠一が不在のあいだに内緒でなにかしようというのではないだろうか?
――いや、工場長にかぎってそんなことあるはずがない!
自分が幼い頃から姪のように愛おしんでくれた菅沼を一瞬でも疑ったのを明希子は恥じた。
――それにしても、嫌なことが起こらなければいいんだけれど……。
明希子は深呼吸し、両腕を上げて伸びをした。すると、いまさっきまで聞こえていなかったオフィスの喧騒が耳にもどってきて、それが心地よかった。なにより、ここが自分のいるべき場所だからだ。自分が申し分なく能力を発揮でき、評価を積み重ねてきた場所。いまの仕事が明希子は好きだった。
――やれやれ、ここんとこ実家のことで振りまわされっぱなしだな。
そのとき、
「アッコさん」
傍らに理恵が立った。
「ガイドブックの取材チームとのミーティング、来週水曜の午後にセッティングしておきました」
「わかった。わたしも時間が合えば、ちょっとだけ顔を出すようにする」
「え、ちょっとだけですか?」
「だって、この仕事は理恵ちゃんにまかせたんだもの。ね、そうでしょ」
「はい。がんばります」
「よし」
明希子は微笑んだ。なんだか、なにかから解き放たれたような気がした。
理恵も笑って立ち去ろうとした。しかし、ふたたび向きなおると、
「……あのー」
「なあに?」
「アッコさん、ご実家の工場に行かれることって、またあるんですか?」
明希子はうんざりしてため息をついた。
――またその話題か……。
「それがどうしたっていうの?」
いささか突っけんどんな口調になった。
理恵がすこしもじもじしてから、
「……素敵なひとがいたなって」
てへへ、と照れ笑いを浮かべた。
「!?」
あんぐり口を開けてしまった。