kataya

第二章:切り子

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階段状になったこの斜めの広がりは、俺のためらう気持ちだ。
「ちょっとどいてみな」
鬼頭だった。
呆然としている拳磨に代わって旋盤の前に立つと、鬼頭が主軸を回した。
拳磨は目を見張った。自分が削り残した部分だけを、鬼頭は薄皮をはがすように五ミリずつ自動送りで削り始めたのだ。不良になるギリギリの所で刃物を止めては、また削り……を繰り返し、残った所をリズムよく取り除いていく。
「あの刃物の止め方や手さばきをよく見とけよ」
横で宮下が言った。
「社長は刃物をきちんと止めるだろ。きっちり削ってきっちり止める、これが難しいんだ」
気がつくと、毛利も室田もやってきていて鬼頭の手元を一心にのぞき込んでいた。
宮下が感に堪えないという面持ちで言う。
「俺も失敗が怖くてあんなにギリギリまで攻められない。粗取りがバラつくと仕上げの刃物に負担をかけるだろ。だから粗取りを寸法ギリギリまで攻めて、おまけに限界まで加工条件を上げていく。常に最高速と精度を意識してるんだ。社長は機械に向かう前から、削りと対峙する姿勢がまるで違う」
俺にもこんなことができるようになるんだろうか? 
こんな削りが……いや、それよりなにより自分はまともな仕事一つできてやしないじゃないか。

その晩、アパートに帰るとケータイが鳴った。
「剣君、久しぶり」
「絵理奈」
「もう、“学校やめた。東京にいる”ってメールだけ寄越して。あとはなにも言ってこないんだから」
「ああ」
「たったそれだけの関係だったの、あたしたちって」
拳磨にはなんとも伝える言葉が見つからなかった。
「まあ、いいんだけどね、なにを期待してたわけでもないし」
「ああ」
「さっきから“ああ”ばっかり。ちょっとは自己弁護しようって気がないわけ? ほんとにもう」
電話の向こうで絵理奈は頬を膨らませているのかもしれなかった。時々そうして見せたように。
「でも、そのへんが剣君のいいとこだもんね。口先だけで言い逃れしようとしないとこが」
拳磨は黙っていた。
「剣君のお母さんが、うちを訪ねてきたみたい」
どきりとした。それは思ってもみないことだった。
「ほら、剣君のお父さんと、うちの父は歯科医師会で顔見知りだから」
絵理奈の家も地元では大きな医院を開業している。
「お父さんからはなんの話も父にはなかったみたいだけど、お母さんがうちの医院を訪ねてきたの。それで、剣君のことで、あたしがなにか知ってるんじゃないかって、両親に訊かれた」
「で?」
「なんにも言ってないわよ。だって、言いようがないじゃない。あたしも、なんにも知らせてもらってないんだから」
「すまない」
「知ってることっていたっら、東京にいるってことだけ」
「それは……」
「安心して、言ってないから」
拳磨は安堵の息を小さくついた。
「そんなに怖いの、ご両親が?」
「ンなんじゃねえよ」
面倒なだけだ。
「ほんとに?」
「関係ねえだろ」
「そうね、関係ないもんね、あたしたち。なにも……」
「吾妻町にある鬼頭精機って、会社に世話になってる」
思わずそう伝えていた。絵理奈の声が寂しげだったから。
「キトウセイキ?」
絵理奈が恥ずかしそうな感じで、ためらいがちに社名を繰り返した。
「ばーか、なにヘンな想像してるんだよ。切削加工の町工場だ」
「切削――じゃ、ものを削る仕事ね」
「ああ。絵理奈が言ってただろ、俺は削りの仕事に向いてるって」
「今でもそう思ってるよ。剣君は、歯科医に向いてたって」
「そうじゃなくってよ、俺は削りの腕に――」
「自信があるんだったらいいじゃない、我が道を行けば。そうじゃない?」
「………」
「それとも無理かもしれないって感じ始めてて、あたしに慰めてほしいわけ?」
俺は今の仕事に行き詰まって、絵理奈に元気づけてほしいと思ってるんだ。なんてこった……
「そんなこと考えてるんだったら見当違いね。こんな扱いされて、あたしがいつまでもついてくと思ってた? ほんと自信過剰」
「絵理奈……」
「ねえ、剣君はいつも自信たっぷりでいてよ。冷たくてもなんでもいいから、自信持ってる剣君でいて。そんなあなたの自信過剰なとこが好きだったよ。ほんと好きだったからね」
語尾が震えていた。それは笑っているようにも聞こえたし、泣いているようでもあった。
「さよなら」
プツリと電話が切れた。
ドアをたたく音が聞こえると、すぐさま毛利と室田が入ってきた。
「剣君、明日さ、海行こう、海!」
毛利が言う。
「気分転換に、パッとさ」
そう盛んに誘う。
「どうしたんだ、剣? まるで女にフラれたみたいな顔してるぞ」
室田が言った。
「そうらしい」
拳磨は言った。

翌日の土曜、レンタカーを借りて、三人で千葉の外房海岸を目指した。アクアラインで東京湾を横断する。運転は拳磨がしていた。
「昨日、フラれたって言ってたよな?」
助手席の室田が訊いてきた。
「なんでもねえよ」
突っけんどんに応える。
「ならさ剣君、向こうに着いたら、ナンパしようよ、ナンパ!」
後部座席から毛利が身を乗り出してきた。
「ナンパだよー! 海っていたら、やっぱナンパだあ! ナンパ! ナンパ!!」
毛利はやけにはしゃいでいる。
室田が後ろにちらりと目をやり、拳磨に向かって小声で言った。
「あれで毛利さん、大好きなんだなあ、コレが」
と小指を立てた。
「へえ」
人は見かけによらない。

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