kataya

第三章:突切り

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コマの軸の根元部分にできる階段状の広がりが消えるまでに半月以上かかった。
ある日、突如それが消えて、真っ直ぐな軸が現れたのだが、拳磨にはなんの感慨もなかった。
「やったね、剣君」
「できたじゃねえか」
毛利や室田はそう言ってくれたが、少しも喜べない。この程度のこと、自分ならもっと簡単にできたはずとの思いがあった。
「時間がかかり過ぎだ」
思わずそうつぶやいていた。
「でも仕方がないんじゃない、指のケガもあったし」
と毛利が慰める。
「毛利さんは、これ、どれくらいでできるようになったんです?」
訊いてみた。
「うーん、一ヵ月はかからなかったんじゃないかな」
ええっ! 俺は一ヵ月半かかっている!
しかし、工場の息子という環境に育った毛利には、削りに関して特別な勘みたいなものが元から備わっているのかもしれない。その辺が、上からも腕を認められている毛利との違いなのかもな。それに、まあ確かにこちらには指をケガした分のロスもあることだし……
拳磨は毛利を基準から外すことにした。
「室田は?」
「そうだなあ、俺はぶきっちょだから、一ヵ月ちょいかかったかな」
なんだと?! こともあろうに室田のほうが俺よりも早くこの削りができるようになっていたなんて……
さらに室田が、
「宮下さんからは、一ヵ月くらいを目処にしろって言われてたんだけどな」
拳磨は完全に言葉を失った。
俺はいったいなにをしてたんだ……
こと削りに関する限り、自分は特別なはずじゃなかったのか? 歯科大では、自分の技術は抜きん出ていた。
「なにボサッとしてんだ。剣、今度は突切(つっき)りだ」
宮下に命じられたのは、コマの軸の部分に、幅五ミリ、深さ五ミリの溝を入れることだった。
溝削りバイトを用いて行う作業だ。
旋盤で使う刃物をバイトという。バイトはオランダ語で鑿(のみ)を意味するバイテル(beitel)が語源と言われている。だが、他の多くの現場の言語と同様、どこの国の言葉に由来するものかなど確かなことは知れないようなところがある。石筆のような角棒型のシャンク(柄)の先に、切れ歯がある。この歯の形と動かし方によって、旋盤による削りの形状が変わって来るわけだ。
二十種類以上あるバイトのなかでも幅が狭いのが突切りバイトで、パイプなどを切り落とすのに用いられる。溝削りバイトは、この突切りバイトの一種で、やはり幅の狭いつくりになっている。
拳磨は、棚に並んでいる中から、ちょうどよさそうな完成バイトを見つけると、それを旋盤の刃物台に取り付けた。
完成バイトは“ハイス”と呼ばれる高速度(こうそくど)工具鋼(こうぐこう)でできている。高速で金属を切削するために開発された鋼である。ハイスは、ハイスピード・スチールを縮めて言ったものだ。
拳磨は、チップ(刃の部分)とシャンクとが一体のハイスでできたバイトを刃物台に取り付けた。チップは、工作物――この場合は、溝を削るコマの軸に当たるが――と九十度になるように立ててボルトで留める。
拳磨は主軸を回すと、バイトを工作物に当てた。焦げたようなにおいが鼻先をかすめる。これまでの外周切削とは違い、溝入れは力が局部に集中するため、右手に持った油筆で回転する切削面に油を擦りつけることで、切れ味を上げながら冷却する。
刃物が削り始めたとたんにキーーーィと鳴り、一気にその音が高くなった。やばい! と思う間もなく、バキッ! バイトの刃先が折れてしまった。
「ちっ」
拳磨は舌打ちして、新しい完成バイトと取り換えた。
“むく”といわれる、素材そのままで曲げたり研いだりして使う道具がある。その中で、特に焼き入れされたハイスの角棒の四面を研磨したのが『完成バイト』で、先端をグラインダーで刃先形状に研ぎ上げ使用する。拳磨は、宮下に命じられた幅五ミリ、深さ五ミリの溝を入れるのによさそうだと考え、長さ二〇ミリくらいの完成バイトを選んでいた。しかし、刃の厚みはせいぜい三ミリ程度だ。扱いを間違えれば、簡単に折れてしまう。
拳磨は今度は、長さ一五ミリのチップを選んだ。溝にチップの先端が五ミリ入ることを考えると、少しでも長い刃を選びたい。
「よし」
拳磨は新たな完成バイトを取り付けると、再び旋盤に向かった。だが、またもや刃先が飛んでしまった。
仕方がない、一〇ミリの完成バイトを選んだ。
「これでいいだろう」
主軸を回す。それでも折れてしまった。
「おまえはいったいどういうつもりだ! 高いバイトをポキポキへし折りやがって!!」
宮下の大きな声が飛んできた。
「このヤロー、俺がせっかくいい具合にしといたのを」
折れた刃先を見て、宮下は怒りを通り越して呆れている感じだ。
だがいい、いつまでも頭ごなしに怒鳴りつけられてるよか、仕事にかかれる。
「いい工具は、工具が分かってないと使えないってことか」
宮下が一人つぶやいた。
完成バイトをちゃんと切れるようにするには、誰かの手が加わっているわけだ。グラインダーで成形して、用途に合った形状の刃物にしてある。宮下が手間をかけて「いい具合にしといた」バイトを自分はへし折ってしまったわけだ。少しだけ申し訳ない気持ちになった。
「おまえ、またビビッてんだな」
今度の宮下の言葉には鋭く反応してしまった。
なんだと?!
「そんな面して見せたって、分かるんだよ」
「逃げてなんていない!」
俺が逃げるだと?
「おまえ、素材に刃先以外が当たるかもって、刃長が長い順番にバイトを使てったろ。薄い刃物が長けりゃビビるし、折れるのは当然だ。
切子と折れた刃物を見りゃ分かる。素人がいきなりきれいに削れるなんて、この世界にはねえんだよ」
拳磨はハッとした。怖がってたんだ。俺はまたビビッてたんだ。

今度は付刃(つけは)バイトを使うことにした。シャンクにチップをろうで溶接したもので、ろう付けバイトとも呼ばれる。拳磨が手にしたのは、シャンクに超硬合金のチップが付いていた。超硬合金は、完成バイトの素材であるハイス=高速度工具鋼よりも硬い。刃先も一〇ミリ以下にしていた。
宮下が背後でじっとこちらを観察している。
そうやって、見下してりゃいいさ。
ところが、超硬合金のこの刃も欠けてしまった。
切削条件の問題だと思い、主軸の回転数を速めてみたり遅くしてみたりしたがダメである。拳磨は、それからも何本かチップを飛ばした。
「切削条件じゃねえよ。刃物の問題だ」
「刃物、ですか?」
拳磨は宮下に問い返した。
「おまえはさっきから、その辺にあるちびた刃物ばかり使ってる。きちんとした溝を削りたけりゃあ、きちんとした刃物に研いでやらないと削れねえよ」
なるほど、そうか。切れない刃で、いい仕事ができるはずがない。腕でなく、刃物の問題だったか。
拳磨は、バイトのチップをグラインダーで研いだ。
「よし、これでいいだろう」
ところが、チップさえ欠けなくなったものの、削ってできた溝の底は平面でなく斜めになっていた。刃物を当てる角度が悪いのかと思い調整してみるが、底は右に寄ったり左に寄ったりするだけで、どうしても斜めになってしまうのだった。

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