kataya

第八章:削り

「剣君にはもっと早く挨拶したかったんだが、いや、大変失礼してしまった」
「あのう、桧山さんはウチの社長をご存じなんですか?」
「昔、若い頃な、勝負を挑んだんだよ、オニセンに。旋盤の勝負をな。ところが、やつの刃物を見ただけでびびっちまった。そりゃあもう、切れる顔した刃物だった。ほんとに寿命の長そうな顔した刃物だったよ」
そこで桧山はふと気づいたように、自分の隣に立っている若者を紹介した。
「ベトナムからきたディエップだ。ウチで働いてる。ディエップも刃物をつくる才能があるんだ。たった今までAグループで削ってたんだけどな」
「彼も選手なんですか?」
桧山が頷いた。
拳磨はディエップに向けて挨拶した。
「よろしく」
すると、ディエップが少年のような楽しげな笑み浮かべ、
「ヨロシクオネガイシマス」
たどたどしい日本語を返してきた。
さっき行き合った競技を終えた選手らがすっかり疲弊しきっていたのに対し、ディエップは柔らかな空気を発している。まるで遊んで帰ってきたみたいに。
「東京代表の剣君と、千葉のウチは同グループになるかと思ったんだけどな」
基本的に競技グループは、開催地から選手の所属する事業所の距離によって十五人前後に振り分けられる。
「ところが、北関東の神無月産業が大挙して選手を送り出してきた。Bグループは、神無月産業の関連企業だけで十一人が占めてるんじゃないかな」
電子機器メーカー神無月産業は、茨城、栃木、群馬に多くの兄弟会社を置いていた。
旋盤の代表選手は、各都道府県一名ずつとは限らない。予選となる二級検定作業試験の指定公差である図面の数字からプラス‐マイナス〇・〇四には、「五輪に出ようっていう連中だ、みんなこの寸法内に入れて来るはずだ」と以前、宮下が言っていた。そこでさらに甲乙つけがたく精度が拮抗していたとしたら、その地域の代表選手は必然的に多くなる。メーカーの大規模工場が集中する県などは、それが顕著だ。逆に出場希望者がなかったり、全国大会で戦うレベルに達していないとみなされた予選地域は、代表選手がゼロ名のところもある。そうやって各地から選出された、今回八十一名の気鋭の旋盤選手たちというわけだ。
「Bグループは、神無月産業が養成した精密選手らに包囲されての戦いになる」
と桧山が言って、拳磨を見つめた。
「頑張れよ、剣君」
「ありがとうございます。しかし、誰と当たろうと一緒ですよ。勝つために、俺は限りなくプラス‐マイナス〇を目指します」
それを聞いた桧山が一瞬厳しい表情を見せた。しかし、すぐに豪快に笑った。
「こいつは頼もしい。さすがオニセンの弟子だな」
桧山は、「じゃあ」と言ってその場をあとにした。ディエップが去りがてに拳磨に向けて人懐こい笑みを寄越す。拳磨も彼に向けて、声には出さず、「じゃあな」と口の動きだけで伝えた。
再び競技会場に向かって室田と肩を並べて歩く。
「神無月産業って、あの光学園高の神無月の会社だろ?」
と室田。
「そうだ。おまえに小遣いつかませて、俺をぶちのめそうとしたあの神無月だ」
「やなこと持ち出すなよ」
「へん」
「だけどおまえ、同じBグループに神無月の選手が十一人もいるって知らなかったのか? 渡されてる選手リストを見てないのかよ?」
見ていなかった。
「ああ。さっきも桧山さんに言ったけど、どこの会社の、どんな相手が出てこようと関係ねえだろ」
本当は、そこに並んでいる巨大メーカーの名前を目にするだけで、委縮してしまいそうだったからだ。認めたくはないが、拳磨は競技を目前に、恐れ、どこまでも緊張していた。それは、神無月の名前を耳にして一層高まった。なんとしても負けたくない、その思いが身体を硬直させるのだ。
それでも室田に向けて、
「結局、旋盤は自分との闘いなんだからよ。プラマイ〇を出しゃあ、勝てるんだ」
どこまでも強気に振る舞っていた。
薄暗い蛍光灯に照らされた長い廊下の果てに、広々とした空間に出た。眩い照明のもと、多くの人々が行き交っている。会場では旋盤競技だけが行われるのではない、機械組み立て、抜き型、フライス盤、電工、工場電設備といった多くの種目も同時に行われる。今、各代表選手と付き添い人、主催者側のスタッフらが搬入のために忙しく立ち働き、活気に満ち満ちていた。
二人はしばらくその光景を呆然と眺めていた。
「剣、なんかこう晴れがましくねえか」
「え?」
「ほらよ、いっつも薄汚ねえ工場(こうば)で旋盤回してるじゃねえか。それが、全国から選ばれて、こういうとこに出てこられるなんてさ。俺、一緒についてきてるだけなんだけど、なんか嬉しいんだ。おまえのおかげだよ」
「バカ言ってんじゃねえよ」
口ではそう返したが、室田の表情には素直な感動が浮かんでいて、拳磨も少しじんとした。
(つづく)
 

この物語はフィクションであり、物語を構成する一部の技術に、実際と異なる演出や表現があります。
また、物語の構成上、一部に現存及び類似する商品、商標、人物、団体名などが登場しますが、これらはその経済的価値を利用し、またはその信用を損ねる目的で使用しているものではありません。
執筆に当たっては、製造業関係者の皆様のご協力を得ていますが、作中に誤りがあった場合には、それはすべて作者が創造したものか、認識不足によるところです。

上野 歩

SPECIAL THANKS
株式会社ヒューテック・藤原多喜夫社長
株式会社秋山製作所・秋山哲也社長
厚生労働省職業能力開発局能力評価課・松村岳明技能振興係長
中央職業能力開発協会、東京都職業能力開発協会、株式会社日立製作所電力システム社日立事業所の皆さん

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